写真展「48年後の木曽馬たち」が展示されている名古屋大学博物館は「古川記念館」と呼ばれています。
その名称のいわれを今回は、ご紹介。
時は戦後。名古屋市内外にあった名古屋大学の各学部を現在の東山キャンパス(名古屋市千種区)へ集約することになります。現在博物館として利用しているこの建物は、実は当時「新図書館」として計画していた建造物でした。ところが時代は戦中戦後の混乱期に。新図書館の建築資金(総建築費約2億円)の拠出難航いたします。当時、地元官民各界であっても集めることが困難な金額であったようです。
「古川記念館」と名付けられたエピソードは、1962年に故古川為三郎氏(日本ヘラルド映画(株)創業者)が大学へ1億円寄附したことから始ります。建築予算は2億。残り1億の拠出先に困り果てていた大学に手を差し伸べたのが、為三郎氏のご夫人、志まさんだったのです。
「その1億円私が出しましょう。大学の図書館といえば、明日の日本を背負う若い人が勉強するところです。そんな人を育てるなら、私の財産など惜しくはありません。さあどうぞ使ってください。」といって預金通帳・株券を取り出したといいます。これに対し、為三郎氏は夫人に「これは戻しておきなさい。わしは土地を売ってでも合計2億円にして、名大へ出そう」といったという逸話が残っております。
博物館にある記念プレートには「この図書館は本学の教育と研究に資するため古川為三郎氏、志ま夫人の篤志によって寄贈されたのもである」と記され古川ご夫妻のレリーフが掲げられ、名称の所以となったのです。その後、大学附属図書館は更に新設され、現建物は、古川総合研究資料館(図書館)と変遷し今の博物館として活用されております。
この古川為三郎氏が創設した「日本へラルドグループ」は、東海地区のエンタメ元祖とも言えます。様々なご縁をいただいき展示させていただいていることにこのような場所で写真展開催させていただいたことに私自身改めて身が引きします思いです。
今回の特別展展示において、木曽馬「第三春山号」骨格標本はこの古川為三郎氏・志ま夫人の記念プレートの前という特別な場所に設置されております。ご来館の際、ぜひご覧になってはいかがでしょうか。
参考文献:「獅子奮迅 古川為三郎伝/小橋博史」など。
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